『朝暘宅建』社名の由来
日本の近代文化の黎明期、明治時代のことです。明治8年に鶴岡県令としてやってきた三島通庸は、洋風三階建ての、当時としては大規模な学校と建てました。その校舎の三階の窓から、はるか朝日の岳が望めることから「朝日が昇るように生徒の勉学が向上し、町の文化が高まるように」という願いをこめて朝暘学校と命名しました。三島通庸の願い通り、数多くの優秀な卒業生が輩出し、鶴岡の、ひいては山形、日本の文化の担い手として活躍。私共も、先人たちがわが町鶴岡に築いた栄ある歴史にあやかって、社名を「朝暘宅建」とさせていただきました。 |